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11月23日:暮らし歳時記「勤労感謝の日」

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「働く誇り」


私は仕事中に電話を握りしめ、そのまま倒れ込み意識を失いました。

そして救急車で病院へ・・・

でも、向こうの世界に足を踏み入れながらも、しかし身体半分をあちらの世界に残したまま、幸運にも半分の身体だけですがこちらの世界にまた戻していただき、いまに至っております。

しかし、それからは、身体を動かして働くことができなくなりました。

ですから、「どんな仕事であれ、働けること」が、どんなに貴いことであるかということを骨身にしみて知るようになったのです。

「働くこと」それは人として生まれ、何かの役にたつという誇り高きことであると、私は思うのです。

またその仕事について、どんなに汚く、辛い、惨めな労働であっても、何かの役に立つということについては、どんなに立派に見える仕事とくらべても、何ら違いはない貴いものなのです。

それを昔、私の母はその事を、ある諺と同時に、身をもって教えてくれたのでした。

その諺とは『職業に貴賎なし』、という言葉でした。

私がまだ、小学校上級生の頃でした。


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前にもお話しましたように、戦後の混乱期に父が不治の病で入院し、毎日の食事にも事欠くような貧しさの中で、母は私たち3人の子どもを育てるため、必死に働いてくれたのです。

行商人、そして列車の清掃婦として、真っ黒になり、働いてくれたのです。

その職業について、母は私たちが「列車掃除の子ども」といじめられ、萎縮することをおそれていました。

ですから、まだ幼くてよく理解できないような子どもの私たちに、『職業に貴賎なし』という意味を必死に教えてくれたのです。

幸いにして、貧しさにも、職業の偏見にも負けず、私たちは育ちました。

あの母の辛い労働、白眼視された労働があったからこそ、生きてこられたのです。

「勤労感謝の日」とは、そんな母の労働に感謝する日であると、今になってつくづく思うのです。

無名の、地の塩となるひと粒の働きこそ、人間として生きた働きなのかもしれないと思えてならないのです。

ああ、このようなことを考えていたら、また母にあいたくなりましたよ~

お母~さ~ん、あいたいですよ~、

そちらの世界に行きたくなりますよ~ お母~さ~ん~






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Author:kmomota
「暮らし歳時記と、エッセイなど、心に浮かぶことを書いています」



我々は何処から来たのか、われわれは何者か、我々は何処に行くのか。

もうじき去るのかな?知りたいな?人間てなになのかな?



















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